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神戸地方裁判所 昭和39年(ワ)347号 判決

原告 フアルベンフアブリーケン・バイエル・アクチエンゲゼルシヤフト 外一名

被告 バイエル薬品合名会社

主文

被告は原告フアルベンフアブリーケン・バイエル・アクチエンゲゼルシヤフトに対しバイエル薬品合名会社という商号を使用してはならない。

被告は同原告に対し昭和三六年一〇月二七日、神戸地方法務局で商号登記番号第七参弐弐号でなした、「バイエル薬品合名会社」という商号の抹消登記手続をせよ。

原告バイエル薬品株式会社の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告バイエル薬品株式会社の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は原告らに対しバイエル薬品合名会社の商号を使用してはならない。被告は原告らに対し神戸地方法務局昭和三六年一〇月二七日受付第七三二二号でなした「バイエル薬品合名会社」という商号の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告フアルベンフアブリーケン・バイエル・アクチエンゲゼルシヤフト(以下原告ドイツバイエル社と略称する。)は肩書地において薬品、染料、農工業薬品、人造繊維、殺虫剤、駆虫剤等の製造販売並びに新規開発に従事し、且つ世界的規模においてその製造品の輸出を行なつているドイツ連邦共和国(西ドイツ)の法人である。同原告は一八六三年フリードリツヒ・バイエル・アンド・カンパニーとして創始されて以来漸次薬品界における世界的会社に発展し、第二次大戦前にはイー・ゲー・フアルベンインジストリー・アクチエンゲゼルシヤフトと称する会社(旧ドイツバイエル社と略称する。)であつたところ、戦後連合軍によつて接収され政令に基づき分割されることとなり、一九五一年より一九六二年にわたり原告ドイツバイエル社その外四社に分割して再編するため一九五一年(昭和二六年)原告ドイツバイエル社が設立されたが、先に連合軍が命じていた旧ドイツバイエル社の解散は一九五三年政令を撤回して解散をとりやめ、同年原告ドイツバイエル社は旧ドイツバイエル社からレバークーゼンその他三工場とそれらの営業の譲渡を受け、名実共に旧ドイツバイエル社の承継人として認められるに至つたものである。そして会社を設立すると直ちに昭和二六年一〇月二六日訴外武田薬品株式会社、同吉富製薬株式会社との三者契約に基づき自社製品の日本への輸出業務を開始したもので一九六二年度の化学部門の売り上げは世界第五位である。そして、「バイエル」の呼び名は世界的に周知なものとなり、その製品は品質、性能において優れていることはもとより、殊にアスピリンは最も有名な薬品であることは何人も否定しないところである。現に世界中において単にバイエル又はバイエル・レーフエルクーゼンあるいはバイエル・ジヤーマニーの製品として高く評価されている。しかして、同原告は日本において次の登録商標の権利者である。

昭和三三年七月一〇日出願

昭和三五年二月二九日公告

昭和三五年八月二六日登録

登録番号第五七九五四〇号 バイエル

指定商品第一類化学品、薬剤及び医療補助品

右バイエルは単なる一商標にとどまらず、日本において広く認識されている標章なのである。又同原告は一九二七年四月二五日日本においてバイエル薬品合名会社(以下、旧バイエル薬品合名会社と称する。)を設立し、売薬等の事業を行なつていたが、第二次大戦の終了と共にその営業を廃止した。

二、原告バイエル薬品株式会社(以下原告日本バイエル社と略称する。)は、肩書地において売薬等の製造販売を目的として昭和三七年七月二日大阪地方法務局においてその設立登記手続を完了し、前記原告ドイツバイエル社の製品を取り扱う系列会社としてきわめて名声を得ている。

三、一方被告は肩書地に本店を有し、売薬等の製造輸出、これに附帯する一切の業務をその目的とし昭和三六年一〇月二七日登記番号第七三二二号をもつて登記手続を完了した無名の会社である。ところで、神戸市葺合区磯辺通一丁目五六番地には戦前に設立された被告と同一商号の旧バイエル薬品合名会社が存在していたのであつて、同会社は原告ドイツバイエル社の系統に属していたところ、戦後連合軍により接収のうえ処分され現在登記簿上のみ存在する会社となつた。被告の前代表者毛呂平蔵は、右会社の存在を知り原告ドイツバイエル社に右会社の利用方について申入れを行なつたが拒絶された。そこで昭和三六年一〇月二七日頃神戸市生田区において同一営業目的のもとにバイエル薬品合名会社なる商号の会社設立登記を完了し、その後営業目的を薬剤等より日用品等に変更することにより、その本店所在地を前記連合軍に接収された旧バイエル薬品合名会社の本店所在地に移転の登記手続をなした事実がある。

四、このように原告日本バイエル社と被告の商号は、「バイエル薬品」の重要部分が全く同一であつて、単に株式会社と合名会社の二文字が異なつているに過ぎないのであつて、このため一般社会においてこれら二商号を誤認混同するおそれのあることは論を待たないところであるから、右二個の商号は商法第二〇条第一項にいわゆる類似の商号に該当するものである。そして被告は前記のとおり原告日本バイエル社の信用販売その他営業上の有利な状況をほしいまゝに利用し、自らその利益を計ろうとするものであつたのであるから、商法第二〇条の不正の競争目的があることは明白である。

仮に同条に該当しないとしても同法第二一条の他人の営業と誤認させる商号を使用することに該当し、同時に不正競争防止法第一条二号の類似の商号を使用し原告日本バイエル社の営業活動と混同を生ぜさせる行為に該当し、同原告はこれにより営業上の利益を害せられるものである。

五、又、被告は原告ドイツバイエル社と同一の標章「バイエル」を含む合名会社を設立し、右名称の会社により同原告の企業活動に多大の支障を与えている。右被告の行為は不正競争防止法第一条第二号の「本法施行の区域内において、広く認識されている他人の標章であることを示す表示と同一のものを使用して他人の営業上の施設と混同を生ぜさせる行為」に当るものというえる。そして西ドイツは工業所有権の保護に関する一八八三年三月二〇日のパリ条約の加盟国である。

六、よつて、原告らは被告に対しその商号の使用をやむべきこと、及びその登記の抹消手続を求めるため本訴に及んだ。

七、被告の主張に対し、次のとおり述べた。

原告日本バイエル社は被告に遅れて商号登記をなしたものであるが、それによつて商法第二〇条第一項の適用が排除されるものではない。同条は商号登記の先後によつて適用の有無が決せられるべきではなく、登記商号権者である限り適用されるものである。実質的にみても、昭和二年四月二五日旧ドイツバイエル社の系列会社である旧バイエル薬品合名会社が設立され旧ドイツバイエル社の製品の販売業務を営んできた。そして原告日本バイエル社は右会社とは別会社であるとはいえ、旧ドイツバイエル社の事業を継承した原告ドイツバイエル社の製品の販売業務を行つているのであるから、被告の営業活動は旧バイエル薬品合名会社ひいては原告日本バイエル社との混同誤認を生ぜしめるもので、不正競争の目的をもつて類似の商号を使用するものであることは明らかである。

被告の権利濫用の主張は争う。原告ドイツバイエル社が世界の超一流企業であることは前記のとおりであつて、バイエルの名称の著名性は否定することはできないのみならず、原告らの権利は被告の営業の規模の大小によつて左右されるものではない。被告の行為によつて原告らの名声を傷つけられる場合これを看過しえないのは権利者として当然である。

証拠〈省略〉

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁並びに主張として次のとおり述べた。

原告ドイツバイエル社がその主張のような登録商標を得ていること、原告日本バイエル社及び被告が原告ら主張のような目的をもつて、その主張のようにそれぞれ設立登記されたものであること、神戸市葺合区磯辺通一丁目五、六、七番地に旧バイエル薬品合名会社が存在していたこと、被告会社が一時本店を右住所に移転したことがあることは認めるが、原告ドイツバイエル社の業務内容は不知、バイエルの名称が周知であることは否認する。

原告ドイツバイエル社は日本国内において商号の登記を有しないので商法第二〇条一項を援用するに由なく、また、原告日本バイエル社は被告会社に遅れて設立登記されたものであるから同条による差止請求権を有しない。

なお、被告会社の本店を神戸市葺合区に移転したのは、被告の元代表者毛呂平蔵が、旧バイエル薬品合名会社の薬品製造を担当していた者で、同会社の役員が日本引揚に当り被告代表者に「バイエル」なる商号の使用を認め、その後両会社の合併の話もあつたので本店を一時移転したものである。

仮に被告の右主張が認められないとしても原告らの本件請求は権利の濫用である。すなわち、ドイツにおいてはバイエルという名は数えるにいとまのないほど多いのみならず、第二次大戦以後は日本においてバイエルの商品も名も過去のものとなり、現在薬品業界においても歴史的存在となり、特に日本ではあらゆる薬品、化粧品の国産が優秀であり、商業宣伝の場にもバイエルの名はほとんど現われてこない。今日バイエルの名を覚えているのは老人の一部に過ぎない。それにもかゝわらず、自己の力と名を誇大視して権利を主張するのは権利の濫用である。

また、被告の資力、信用、生産等においては原告らの営業上の利益を害するほどの取引きはできそうにもなかつたうえ、被告の元代表者毛呂平蔵が死亡した現在ではきわめて微々たる営業活動しかできないであろう。このような被告に対してまで原告らの権利を行使することはあまりにも無慈悲な行為で権利の濫用というべきである。

証拠〈省略〉

理由

一、原告日本バイエル社及び被告が原告ら主張の事業目的のもとにその主張の日にそれぞれ設立登記されたこと、原告ドイツバイエル社が原告主張のような登録商標を得ていることは当事者間に争がない。

二、原告ドイツバイエル社の請求についての判断。

成立に争いのない甲第七号証の一、二によると、原告ドイツバイエル社は一九五二年ドイツ連邦共和国(西ドイツ)において、事業目的を染料、有機及び無機化学製品、プラスチツク製品、薬品及び写真材料、人造繊維、農薬等の製造販売並びにこれに関連するすべての事業とする株式会社として設立登記されたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。そして同原告がその主張のように旧ドイツバイエル社の営業の譲渡を受け、その主張のように自社製品の日本への輸出業務を開始したものであることは被告が明らかに争わないので自白したものとみなす。

しかして、旧ドイツバイエル社及び原告ドイツバイエル社が世界的な大企業であり、且つ両社が有している「バイエル」の標章が戦前のみならず戦後においても日本国内において広く認識されていることは公知の事実である。

ところで、前記当事者間に争いがない事実のように、被告が「バイエル」の標章を含む商号を使用することは、それにより同原告の系列会社であるとの誤つた認識を与えるものと認められ、従つてその取扱い商品もまた同原告のそれと同一の商品あるいは同一の品質、性能を有するものとして取扱われ、同原告の営業活動と混同を生ぜしめる結果となり、ひいては原告の営業上の利益を害せられるおそれがあるものというべきである。

しかして、同原告が属する西ドイツが工業所有権の保護に関する一八八三年三月二〇日のパリ条約の加盟国であることは被告が明らかに争わないので自白したものとみなす。すると同原告は不正競争防止法第一条第二号により被告に対しその商号の使用の差止め及び商号登記の抹消登記手続を求める権利があるものというべきである。

被告は商法第二〇条一項を同原告において援用し得ない旨主張するが、同原告は右条項による請求はなしていないから被告の右主張は理由がなく、また同原告の請求は権利の濫用である旨主張するが、その前段の主張は「バイエル」標章の周知度に帰するところ、これが周知であることは前記のとおり公知の事実であるから右主張は採用しない。後段の主張については、被告の営業能力がその主張のとおりであるとしても、これをもつて直ちに原告の請求が権利の濫用ということはできない。よつて被告の主張は採用しない。

三、原告日本バイエル社の請求についての判断。

成立に争いのない甲第二号証、原告日本バイエル社代表者林一夫本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一八号証及び右本人尋問の結果によると、戦前より神戸市葺合区磯辺通一丁目五、六、七番地に本居を有する旧バイエル薬品合名会社(その存在については当事者間に争いがない)が旧ドイツバイエル社の系列会社として営業していたが、戦後連合軍による接収のため営業を中止し、現在登記簿上のみ存在していること、原告日本バイエル社は旧バイエル薬品合名会社を新しい形態で復活する意図のもとに原告ドイツバイエル社の医療用、歯科用及び獣医用製品の日本における振興のため創設されたもので、一九六二年九月一四日原告ドイツバイエル社より「バイエル」の標章を会社名に使用し、バイエル商標を原告ドイツバイエル社の右製品に関する広告又はその他広告資料に使用することの承諾を受けたものであることが認められる。

原告日本バイエル社と被告の商号は株式会社と合名会社とが異なるのみで両者が誤認混同されるおそれがあり、類似の商号というべきである。しかしながら、被告の商号が同原告の商号よりも先に登記されたものであることは当事者間に争いがないのみならず、同原告が被告の商号登記に先立つて原告商号のもとに営業活動をしていたこともないのであるから、特段の事情のない限り被告がその商号選定にあたり同原告に対し不正競争の目的があつたものということはできない。

商法第二〇条、第二一条による差止請求は、必ずしも登記の先後によるものでないことは原告主張のとおりであるが、右各条項による差止請求は商号権者の権利を保護するものであるから、相手方の商号使用に先立つて自己の商号を営業上使用していることが必要である。同原告が前記認定のような事情に基づき設立され、原告ドイツバイエル社よりバイエルの標章を商号として使用することの承諾を受けていたとしても、これをもつて直ちに原告日本バイエル社に固有の差止請求権が発生する理由とはなしがたい。右の理は不正競争防止法の適用においても同様と解せられるから同原告の請求は失当というほかはない。

四、よつて、原告ドイツバイエル社の請求は正当であるから認容し、原告日本バイエル社の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上喜夫 宮地英雄 小林茂雄)

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